Title: 刀は文化なのか武器なのか。
映画「靖国」をみてきた。
内容や監督に対してはともかく自分の感じたことは。
刀は文化なのか武器なのか。
そこで議論をしようと思う心が靖国を固有名詞からそれ以上のものにしてしまったんだと思う。
刀は刀でしかない。
生も。死も。
それ以上でもそれ以下でもない一点の事実でしかない。
それなのに人は事実に事実以上の意味を見出そうとする。そうすることで安心を得たり平穏を願ったりする。
人は自分のフィルタを通して自分の目に写るすべてのものにレッテルをはる。あれがいい。これはわるい。これは間違っていてこれは正義だ。
価値観に絶対はない。
靖国とはそういう人間の心と、靖国というものの存在が奇跡的、偶然といってもいいくらいの同調率で成り立っているんだろうと思う。
主義主張の全く違う人間なのに、一つの象徴にあそこまで心を奪われとらわれるということはほんとうに絶妙なバランスで、きっとどこかでなにかが違ってても成り立たなかったくらいのバランスで成り立っているからなんだろうな。
なにかが1つのものを支えるのではなくて。なにもないのにそれが支えられているという事実。目にみえないものを具現化するということの生み出す不思議な感覚。
これが靖国にある答えのない問題なんじゃないかと思う。もしそうならばはじめから答えなんてないんだこの問題に。
答えのないものというのは確実にある。それなのにその答えを探そうとしてしまう人間の心が生み出したものが靖国なんじゃないだろうか。
議論をしようという心のわいた時点で自分も靖国にとらわれている一人なんだ。
真宗と靖国は相反するところにあるということにはじめて気づかされて戸惑う自分がいる。
POSTED @ 2008.05.05 |
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