プロフィールにも書きましたが。じぶんは寺の子です。
よく寺の子といいますと、頭は坊主なのと聞かれますが坊主ではない挙句にお坊さんだといってもまったくだれも信じてくれません。寺の子だからといってなんら普通の人とは変わりはないです。
焼肉もたべますよ。むしろ大好きです。なまぐさだという人もいますが。
まぁそういう意味ではなまぐさです。クリスマスにはケンタッキーですから。
うちの寺は浄土真宗です。真宗というのは戒律のない宗派です。だから髪はあります。肉もたべますし結婚だってできます。
まぁそれはさておき。
なぜこのブログを立ち上げたかということなんですが。一種の自分の為の備忘録とか感じたことを書き留めておくノートみたいにして使っていこうとおもってます。
真宗では「聞法」ということを大切にします。
「聞法」というのはかいつまんでいいますと仏教のおしえを自分のことに置き換えて自分の中に取り込んで自分自身の問題としていくということです。
ある書物には鏡がなければ自分の顔を見ることができないように、法は、鏡にたとえられ、私たちのあり様をうつし出すものです。と書いてあります。
こうかいてもぴんとこないでしょうが言葉でいえばこれが「聞法」です。
言葉ではこれ以上でもこれ以下でもないのでこれ以上は言葉では伝えられないんです。
でも思うに。
いまそれがわからなくてぴんとこないものも、あるとき突然ぴんときて。「あああれはこういうことなのか!」という瞬間にであうこと。そしてその発見の中で生きていくのが大切なんだとおもいます。
そういう瞬間が宗教に触れるということなんだとおもいます。
そんでなにがいいたいかといいますと。
聞法するために必要なのが、自分が生きていく中でおきる事件や、それこそ小さな心の変化や、たわいもない出来事をただ流していくのではなくて、しっかりと見つめるということです。モヤモヤをモヤモヤで片付けないということです。
そしてその一つ一つの答えを仏教の中にさがしていくことです。でもそんな一つ一つのできごとや感じたことを、心の中にいつまでもためておいて、数年後に自分の中で、「ああ。ああいうふうに感じた気持ちはこういうことなのか!!」と思えるのはそうとう感受性が豊かで、なおかつ記憶力が抜群に良くないと無理です。
だから忘れないようにいま自分が感じたこと。聞法したことを書き記しておこう。
というのがこのサイトをたちあげた動機です。
自分でノートに書いとけよ。
とおもうかもしれませんが文章というのはさらされることで責任がでます。
中途半端なことはかけなくなるし、なによりも最後まで考え抜くようになります。そういういみでさらしていきます。
冒頭にも書きましたが
たかだか20数年しか生きていうえに、寺の子ったって普通の人なんで。そんな中で感じた自分なりの聞法です。きっと数年で考えが変わることもたくさんあるとおもいます。
でも願わくば。
ここに書いてあることを読んで。
宗教や仏教というものを身近に感じてくれたら。
それ幸いです。
まぁつまりは仏教ぽいブログということです。
どうぞよろしく。