Title: 死にかけてますがなにか。
もしいま突然。
「おいそこの死にかけたおじさん」
と言われたら。むかっとすると思う。
でもそれは全部事実なわけだ。生きている以上、死にかけてない人なんていないし、自分はもうお兄さんでもない。
でもそれにむかっとするということは、
自分は死にかけてないし、おじさんでもないと思いこんでいるからなんだ。
この思い込みを、仏陀は妄想と呼んで、そこでむかっとする気持ちを苦しみと呼んだ。そんで、その苦しみを解消するために、物事を正しく受け止めて、事実を正しく見なさいと言った。その物事を正しく見ることを智慧というと言った。
むかっ。とか、イラっとか。
よく目を凝らしたらけっこう言われんでもないなと思うことは多々ある。
今に目を凝らしてみると、けっこういろんなもんが落ちてるもんで、自分の疑問に思っているすべての答えは目の前にあると思う。
阿弥陀経の中には、「今現在説法」という言葉がある。
今この瞬間にも説法は満たされているという意味で了解してもいいじゃないかと思う。
「摂取不捨」というのも同じで、捨てるもんなんてなにもないと了解してもいいんじゃないかと思う。
ああ自分ってばつくづく浄土系。うふ。
POSTED @ 2009.09.15 |
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