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Title: 自分の感覚
自分の感覚の中でなんかおかしいな。なんか違うようなきがするけど、でもいわれてみたらそういう考えもあるな。たしかにそうかも・・・なんて70%くらいの気持ちで望んだ決断ってのは、そのときはいいかもしれないし、無難にみんながまるくおさまることがおおいけど、 大抵そういう決断がなにかを打開したり、なにか大きな流れになったり、新しいものを生み出すことはまずない。 なにかを本気でかえようとするときには色んなところから賛否両論すくなからずさざ波も立つし、いろんなことをいう人がいる。それに流されて出した意見で何かを変えようなんてことは絶対に無理だ。 自分の力でなにかを変えたいなら最後まで自分の力を信じるしかない。そこで結果がでなくても、例え失敗しても、その生き様自体がなにかを動かしたり、なにかを変えたり誰かの心に響いたりするんだと思う。 おれだってなにかいわれて芯が揺らぐような奴に感化されたり心を動かされたりしない。 でもそれは人の話に耳を傾けないとか、頑固とか意固地とかとは違う。 たくさん人の意見を聞いて、たくさん考えて、自分でなにが一番最善か悩んで、 最後の最後に決めるときに自分の感覚を信じるということ。 それが人情だったり、効率だったり、合理性だったり、きっとどれもその時にふさわしい答えなんだとおもうし、周りの人の意見もある焦点ではかならず的をはずれてるわけじゃない。 だからその中から1つ結論を出すときには、自分の感覚を信じるしかない。1つ筋の通った芯さえできればあとは自分の感覚を信じるだけ。 好きか嫌いかだけかもしれないし、なんかしっくりくるだけかもしれない でもその感覚が大事なんだなって思う。 自分がこういったら。あの人にどう思われるかなとか、みんなにどうおもわれるかなとか。こんな考え浮いてないかなとか、俺はいまどうみえてるのかな。とかそんなことばっかりに目が向いてたころからくらべてすごくいろんなことが苦しくなくなったし、なによりも自分自身が前に進んでる感覚を感じられる。 目の前に現れた問題をこうやって1つ1つ考えていくだけでいいんだ。 生きていく中で迷ったときとか、なにか決断するときだって一番大切なのは 自分がどう感じて、自分がどう思うかだと思う。 ただそれだけ。 簡単そうでこれってすごく難しいことだと思う。 なにが正しくてなにが間違ってるかなんて、そこにいるだれもがわからないんだから。みんな自分のものさしではかって言ってるだけなんだから。みんながもってるものさしだって、自分のとたいしてかわりゃしない。 |
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