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Title: 答えは炙り出しみたいなもんで
真理はいつも逆説の中にある。なにかの本で読んだことがある。最近その言葉の意味が少しわかった気がする。 人と関わろうとか。人を知ろうとか。人を好きになろうとか。人を愛そうとか。自分は二の次なんて思ってたって、そういうときこそ浮き彫りになるのはいつも自分自身のことばっかりだ。 逆に自分をしっかり保とう。顔をあげよう。自分を大切にしようと、いまは他人にはかまってられないよ自分のことで精一杯なんて思えば思うほど、浮き彫りになってくるのは他者との関わり方や温かさだ。 答えを出したくてそれについて目を凝らしてる時にはなにも見えないのに、いったん目をそらしたらその答えがじわじわと浮き彫りになることがおおい。その時にああ。そういうことかって。いつも頭にあるけど答えのわからない問題がひょんなことからつながって解決することが最近ものすごく多い。 生きることを追求しようとおもったら生きるってことを凝視してちゃだめなのかもしれない。生きることだけじゃない。自分がこうなりたいとか、こうあるべきだとか。そう思ったときにそこにとらわれたらそうはなれないんじゃないかと思う。 きっとそういうことははっきり頭でわかるような答えじゃなくて浮き彫りになってはっとするような形で答えが出るんだと思う。 人間は自分の物差しでしか物事をはかれないくせに自分のものさしほどあてにならないものはない。ましてや自分の枠で判断して、穴があくほどにらみつけてなにかが解決できるほどできちゃいない。とらわれて解決できるほど引き出しだって多くないし、自分のできる判断なんてたかがしれてる。 最後は自分がどうありたいか想い続けることが一番重要なのかもしれない。それに付随してたくさん細かい問題は死ぬまででてくるけどそこにいちいちとらわれちゃ前にでれない。きっととらわれないでいれば自ずと答えがでるんじゃないかと思う。 木を見て森を見ず。森を見て木を見ず。 電気を消して初めて外の明るさに気づくように。 豪雨の中ではじめて静寂を感じるように。 真理は逆説の中にこそだ。
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