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Title: 戦争と平和
2010.09.26 戦争と平和を考えるときに、やっぱ無条件に戦争はよくない!平和が一番!仏教徒なら当然そうでしょう。戦争反対に断固として意思表明すべきだ! なんていうけどさ。 そういう話をきくといつも思いだす逸話がある。 コーサラー国の軍隊が、カピラ城(ブッダの祖国)を攻め落とそうとしたときにブッダは、行軍する途中の道で座して軍隊を止めたという。 そして2度目の行軍の時にも、3度目の行軍の時にも、ブッダは、行軍する間の道に座していたという。さすがにブッダ゙を無視して行軍するわけもできず、コーサラー国は何度もその道を引き返すわけだけど。 でも4度目の行軍の時にはブッダはそこにはいなかった。そして軍をすすめたコーサラー国はしシャカ族(ブッダの祖国)を滅ぼしたわけです。 この時弟子の目連さんが、神通力で行軍を止めようとしたら、ブッダはそれを制して、もういいのだ。といったという。 この3度しか座っていなかったことから、仏の顔も3度までということわざがあるわけだけれど、この逸話の真意は、すべての物事には因果があるということであり、因果といういうのは、人間の手におえるほど単純なものではないということなんだろうと思う。 ブッダが無条件に戦争は反対!仏教は平和が一番!だと思っていたのなら、神通力だろうとなんだろうとつかってでも、行軍を止めたんだろうと思う。 戦争とか平和を考えていると、本当の意味での仏教徒のとるべき姿勢とはどうあるべきなのか悩むし、その時に、この話はいつも自分の中でひっかかる。この話は現代でもそのまま通用する教えじゃないかと思う。 仏教は時に厳しい。そして優しい。 この3度だけブッダが座っていたというのが、なんていうか自分が仏教を好きな大きな理由なんだろうとも思う。 |
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